田中圭一のゲームっぽい日常 「お祭り」という体験を買ってもらうために

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ネットの動画投稿サイトの影響で音楽CDが売れなくなり、多くのミュージシャンはライブによるマネタイズに活路を見いだした。ライブを増やすことでファンとの距離を縮め、会場限定グッズで収益も上がったと聞く。ファンにとって、大好きなミュージシャンの生演奏を聴き、多くのファンとともに盛り上がる……その「体験を買う」ことの価値は高い。そして、それはデジタルデータでは絶対に真似のできないことなのだ。

マンガ家もネットの隆盛で紙の本が売れなくなり、仕事が減ったりマネタイズに苦心している。ところが、マンガ家はミュージシャンとは違い、ライブによるマネタイズが不可能だ。関係者は原画展を増やして盛り上げようとがんばっているものの、音楽における生演奏のような価値を原画展やライブドローイングに持たせることは難しい。なぜなら、マンガは描いている過程や描き上がった原紙ではなく、印刷された作品を読むことに最大の価値があるからだ。

そんな状況にあって私も、ミュージシャンの成功例を参考に、マンガファンに「体験」を買ってもらうイベントを色々と模索していた。

例えば、トークライブ会場にファンを集めて、そこでしか公開しない新作マンガをスライド上映して、次回の展開を担当編集者とステージ上で打ち合わせる。つまり、打ち合わせのライブとその結果であるマンガの上映だ。仮にそのマンガが創作料理をテーマにした作品だとしたら、上映の直後に、そのマンガに登場した創作料理が実際に客席に振る舞われる・・・という趣向もありではなかろうか?

……など、色々とイベントを模索したものの、費用対効果を考えるととても採算が合わない。そもそもマンガはスライド上映には向かない。それは、動かないアニメを見せられているようなイライラ感がつのるからだ。
さらに、打ち合わせをショーとして観客に見せるのは無理がある。だいたい打ち合わせなんて見て面白いものでもないのだ。

では、プロ作家によるマンガの即売会はどうだろう?

……これも違う。同人誌即売会という「お祭り」は参加者がプロであるかどうかなど関係ない。そこに独特のニーズが存在し、それに合致したマンガ家や作品が必要とされる。極めて特殊なコミュニティでありマーケットなのだ。プロ作家がコミケに参加して惨敗する例が後を絶たないのはそういう事情があるからだ。

では、マンガ家版のライブイベントは、不可能なのか?

私がほぼ諦めかけていたところに「手塚治虫文化祭~キチムシ’15~」なる展示即売会が昨年の12月に吉祥寺のリベストギャラリー創という画廊で実施された。

江口寿史、上條淳士、いしかわじゅん、島本和彦、山田雨月、古屋兎丸、青木俊直ら17名による手塚治虫キャラクターの絵画やグッズの展示即売会だ。

それぞれのアーティストが個性を遺憾なく発揮して作った手塚キャラの会場限定グッズを展示して販売する。

手塚治虫文化祭 ~キチムシ’15~ 1  手塚治虫文化祭 ~キチムシ’15~ 2手塚治虫文化祭 ~キチムシ’15~ 3 手塚治虫文化祭 ~キチムシ’15~ 4

吉祥寺という地域に寄り添った規模感とブランド感。そして、「おしゃれ、かわいい、アーティスティック」というコンセプトに合致する17名のクリエイターが、「手塚キャラクター」を料理して作り上げた会場限定グッズ。

この企画を知った時私は「やられた!」と思った。

……べつに手塚パロディを売りにしているお下劣マンガ家が参加できようもないイベントだったからではなく、これこそが「マンガ家版のライブイベント」だったからだ。

私が模索しつつ、到達できなかったのは「コンセプト」という背骨を通すことの大切さ、展示作品と会場限定グッズを兼ねてしまうアイデア。このふたつを備えることで、マンガ家もライブによるマネタイズが可能であることが示されたのだ。

この「手塚治虫文化祭~キチムシ’15~」を企画したのは手塚るみ子、そう手塚治虫の長女であり、手塚作品を独自に企画するプランニングプロデューサーだ。

マンガの神様・手塚治虫によって開かれたストーリーマンガが、ネットの隆盛で袋小路に入ろうとしたとき、マネタイズが可能なライブイベントを提示して見せたのが、神様の娘であったことは決して偶然ではないと思う。

まだ産声を上げたばかりのイベントだが、今後の発展次第で、マンガ家とファンを結ぶ展示即売会の新しいスタイルになると私は確信している。

……ということで、こんだけ褒めておけば来年は私にも声をかけてくれるにちがいないかなっと!

タグ , | 2020/06/16 更新 |