田中圭一のゲームっぽい日常 背筋も凍る、業績評価の真実

転職好きなサラリーマンとして5社を渡り歩き、その中の何社かで、マネージャーを経験した。

マネージャーの仕事に、部下の評価、つまり昇給・昇格を決めるというものが当然ある。社内で示された評価基準に則って評価をするわけだが、じつはこれがとても悩ましい。

例えば営業なら、営業マンとして、それぞれの役職(主任、係長、課長、次長、部長)に求められる能力があり、それが社内向けのもの(事務処理や目的意識、責任感など)、社外向けのもの(接客、販売促進、販売実績など)、多岐にわたる項目について評価し、最終的な成績を決めるのだ。

恣意的なもの、感情的なものを挟んではいけないし、同じセクション、同じ階級の部下を横並びで冷徹に見ていかなければならない。

当然だが、社員にはそれぞれ個性があり、営業手法も同じではない。同じ営業でも微妙に職域が違っていたり、統一規格のものさしをあてることはすごく無理があると感じていた。

仮に田中君は社内向けのスキルが高く社外向けのスキルはやや劣る、金子君は社内向けのスキルが極端にダメで、代わりに営業成績がすごくよい、とする。社内規定に照らした結果、田中君も金子君もB評価だった。しかし、同じBでも内容は大きく違う。仮に評価のものさしやルールが少しでも変わったら、ふたりの評価はまったく別物になる。ボクは極めて几帳面でマジメなものだから、こういう評価結果にスッキリしないものを長年感じていた。

ある日、マネージャー研修があり、部下の評価についてのレクチャーを受けた。その際にボクは長年疑問に思っていたさきほどのことを質問してみたところ、研修を主催するコンサルタントから意外な返答が帰って来た。

「部下の評価を、平等かつ正確に付けることは不可能です。仮に、会社の売上げに大きく貢献しているA君が、年収300万円で満足しているのなら彼には300万円の給与で十分だし、さほど売上げに貢献していないB君が年収400万円でも不満だと言っているのなら、420万円程度の昇級をしてあげればいい。理不尽に思えるかもしれないが、平等な査定が不可能ならば、次に選択すべきは組織を丸く収めるための評価結果だ。」

正直、目が点になった。

極論であることはコンサルタントも認めていたが、ボクが今まで頭を悩ませてきたことは無意味なのか、と思い愕然とした。

ただ、この時は正直「このコンサルタントは、まともじゃない。」と思ったのだが、数年後、転職した別の会社で、同じようなマネージャー研修でもコンサルタントから、ほぼ似たような話を聞かされた。

当然、ふたりのコンサルタントは別会社の人で、彼らに繋がりはない。

これって勤務評価の「裏の常識」なのだろうか?

たしかに、総務、開発、生産、経理、営業といった職種の違う部門間に同じものさしをあてられないことくらいは理解できる。それでも最終的には「給与・お金」という平等な単位で結果が出るのだから、そもそもが矛盾をはらんでいるわけだ。さらに、「もっと評価してくれないとやる気になれない」と叫ぶ人にはプラスの評価がなされ、「現状でも十分満足」と思っている人の給与は上がらない、という矛盾が加わる。そんなことが常識としてまかり通ってもいいものか?

たしかに、完璧な解決策などないと思うのだが、かといってこれでいいとは、とても思えない。

タグ , | 2020/06/16 更新 |