田中圭一のゲームっぽい日常 音楽が人の感情をどうにでもする件

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先日友人と、映画やドラマなどで感動する展開について語りあった。
その中で「自分が絶対に感動して泣いてしまうテッパンの展開」の話になった。

私にとってのそれはアニメとか特撮番組でよくあるパターンなのだが「ピンチを脱した主人公が攻勢に転じる時に主題歌が被さる」という演出だ。

この演出をされると100%鳥肌がたって、イッキに気分が高揚する。

よく考えてみたら別に「主題歌」である必要はないのではないか、他のBGMでも良いのではないか、と思わなくもないのだが、やはりここは毎週聴き慣れた「主題歌」でなくてはここまでの感動は呼べない。

さて、どうして人は「音楽」が好きなのだろう?

人が生きていく上で必需品ではない…そう思われがちだが、それは違う。

前述したように、ここぞという時にかかる音楽によって感動は一気に高まる。つまり、音楽とは人の感情を上げたり下げたりする薬のような重要な生活必需品なのだ。

40歳より下の人たちにはピンとこないと思うが、70年代の後半までは「音楽を再生する小型の機械」を持ち歩きイヤホンで音楽を聴きながら外を歩く、という行為は不可能だった。

それほどソニーのウォークマンの登場は人の生活に革新をもたらしたのだ。

日常生活の中にBGM入れることによって、ありふれた風景が急激にドラマチックに演出される。この革新的な瞬間を経験できた世代は本当に幸運だったと言っていい。

音楽を聴きながら散歩をしていて、時々面白い偶然にぶつかる。風景が切り替わる瞬間に、耳元で流れてる曲も切り替わり、そこから感情が一気にがらっと変わるのである。

 

長い坂道を登り切って丘の頂上に立ち、眼下に街が一望できた瞬間、そこに流れる曲がその瞬間を大いに盛り上げてくれる、という経験をしたことはないだろうか?

この時、実に興味深い現象がある。

例えばこの瞬間、耳元の曲が切り替わりヴァン・ヘイレンの『ジャンプ』が演奏された時と、ボズ・スキャッグスの『ウイ・アー・オール・アローン』が演奏された時とで、受け取る側の感情はガラッと変わる。

前者であれば坂を登りきった達成感が大きく浮き彫りにされるが、後者であれば見下ろす街の景観をしみじみと眺め感慨にふけるといった感じだろうか?

先ほど音楽を「薬」に例えたが、もっと言及するなら音楽は「麻薬」に似た働きをする。いや、正確には音楽が脳内麻薬を引き出すのだ。『ジャンプ』はアッパー系であり、『ウイ・アー・オール・アローン』はダウナー系だ。

こういう働きをしてくれるもんだから、人々は音楽を手放せない。そして、冒頭で述べた「テッパンの感動展開」も、主題歌というアッパー系な合法薬物によって、感動が引き起こされるわけだ。

そりゃ感動するよね。

タグ | 2020/06/16 更新 |