田中圭一のゲームっぽい日常 2作目の壁は必要か?

マンガ家としてデビュー作が雑誌に掲載された後、次回作の掲載までずいぶんと苦しんだ経験がある。編集者のOKがなかなか出なかったからだ。何を描いても「デビュー作を超えていない。」という理由で、だ。

たしかに編集者の言う通りだったのだが、当時から疑問に思っていたのは「初打席でホームランを打ったら、次もホームランか場外ホームランでなければならないのか?」ということ。才能をもっともっと引き出そうとして編集者がマンガ家に対するハードルを上げている、その姿勢は理解できるのだが「根性論」のような考え方には違和感を感じていた。

初打席がホームランなら、次の打席は出塁できれば上出来、10打席で3割ヒットを打てれば合格点、くらいでいいではないか。もちろん、野球だから3割が優秀なのであって、マンガを同じアベレージで語るのは間違いなのだが、とにかく「2作目の壁」が高く立ちはだかって私はデビューこそしたものの、連載を勝ち取るまでにすいぶんと時間を食った。

マンガに限らず、作曲でも映像でも「前作を越えなければダメ」という縛りに負けて、本来の実力が発揮できないクリエイターは多いのではないだろうか?

「越えること」が最重要なのではなく「創作したいテーマを表現しきれているか」が最重要だと思うのだ。そのために、のびのびと創作に打ち込める雰囲気作りや環境作りは欠かせないものであり、「前作を超えろ」という別のミッションが入り込むことで、その環境が整わないのは本末転倒だ。

「前作越え」にこだわり抜いて悩み抜いた結果、すごい作品が出来上がり作家の実力も大きくアップする…ドラマチックでマンガチックな展開だが、創作者にはセンシティブで壊れやすいハートが宿っていることも事実だ。子供ライオンを谷底に叩き落として這い上がった者だけを育てる方法では多くの才能を犠牲にしてしまわないだろうか?

大学でマンガを教える立場として、企業への就職を希望する学生が増えてきている現状を見ていると、日に日にそう思うのだ。

タグ , | 2020/06/16 更新 |