田中圭一のゲームっぽい日常 なんのために叱るのか

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大学で学生を教える立場になって、あらためて「叱る」という行為が、すごく無意味であるように思いはじめた。思えば、サラリーマンを30年もやっているが、私が上司から叱られた回数は軽く100回を超えると思う。だが、思い起こすにこれらの経験がサラリーマン田中圭一の成長の糧になったのか、少々疑問である。

上司が部下を叱る場面を何度となく見てきたが、必ずいくつかのお決まりフレーズがある。

「何度言ったらわかるんだ?」

「なぜ、こんな簡単なことができないんだ?」

「こんなことしたらダメだって、オレは前から言ってたよな?」

「やる気がないんだったらそう言ってくれ。他のヤツにまかせるから。」

・・・などなど、ミスした部下を追い詰めるフレーズが多いような気がする。それをもって「叱る」というのであれば、あえて問いたい、「何を目的として部下を叱るの?」と。

部下の能力をアップさせ、戦力になるように育てること。結果、組織全体を強力にしてミッションを高い精度で達成できるようにすること。・・・これが目的であれば、部下を無駄に追い詰めることは無意味どころか有害だ。

あるソフト会社に勤務していたころ、そこの社長が、常に社員を大声で罵倒するタイプで、彼に「なぜ部下を追い詰めるのか?」と聞いたことがある。社長の答えはこうだ。「罵倒され悔しい思いをして、そこから、なにクソ!っと発憤しなければいけないんだ。それができなければサラリーマンとして成長できない。」

その考え方は、あまりに偏っていると私は感じたし、その方法が万人に通用するとも思えなかったので、その会社を早々に退職した。その会社では心を病んで辞めていく社員が後を絶たなかったが、逆に残った社員は強力に会社を牽引していった。あの社長の叱り方は、部下の成長以前に、社長につきあえる社員をふるいにかけているので、ある意味正解なのだろう。私とは価値観が合わなかっただけなのかもしれない。

しかしながら、人は褒められて伸びるタイプも多いのだ。皮膚感覚として、褒められて伸びる人:叩かれて伸びる人 = 8:2 くらいじゃないだろうか?

さて、私が今教えているのは学生である。彼らは学費を払ってマンガの描き方を習いに来ている、いわばお客様でもあるのだ。そして私の役目は、彼らの能力をアップさせることであり、マンガ家として食っていけるようにすることである。授業を真面目に聞かない学生や課題を期限までにやってこない学生を「叱って」意味があるのか、最近そう思い始めている。なぜ課題をやらないのか?なぜ授業を受けないのか?その理由を明確にして個別に対処すべきだと思っている。目的は「叱る」ことじゃない。課題をやらせて能力をアップさせることなのだ。目的と手段を取り違えてはいけないと思っている。

考えてみれば、前述のサラリーマン時代の「上司が部下を叱る現場」で私が見てきたのは、部下の成長を促すというより「お前って仕事ができないよね?でも、俺って仕事ができるよね。」という上司の自信を確認する行為であることが多かったように思える。中間管理職ともなればなにかとストレスが多いのも理解できるが、部下を叱ることで「自分はまだましだ。」と確認するのは、あまりに虚しくないだろうか?

タグ , | 2020/06/16 更新 |